身体を通じる言葉

2年前にFacebookに投稿した内容を読み返して、今でも「そうだよなぁ」と思う内容の投稿がありました。少し加筆修正して、ここに転載します。
鷲田清一、内田樹、村上春樹、河合隼雄、谷川俊太郎は皆同じことを仰るなあと思いました。それはなかなか僕の小豆三粒程度の語彙力では説明しにくいことです。

彼らは僕が絵を描いていて普段感じている言語化しにくい「それが言いたかったのだ!」というようなことをものすごく分かりやすく説明してくださるのですが、いざ自分のことばで説明しようとすると、それができない。わかりやすいのにわかりにくい。

しかし、頑張って言えば、ことばは身体に通っていて、そこを潜ると、流れのあるところに染み込める通路があるといった感じです。ちょっと何言ってるかわからないですね。

わかりかけていて、説明できないということは、自分の言いたいことが「ある」とわかっていても、その存在が何なのかわかっていないということではないでしょうか。

ただしかし、肌触りはあるんです。絵を描いているときに感じるその存在の肌触りです。これはACOPでも経験していることです。
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ACOPで作品を鑑賞しているときの中でも、ナビがうまくいっていない時ではその肌触りがありません。しかし、ナビがうまくいっているときに限り、その肌触りがあります。

鑑賞者がそれぞれ言いたいことを発言するわけですが、いいナビだと、それぞれバラバラの方向を向いていたことばの進路が、終盤にかけて同じ方向に向く。

車で例えると、鑑賞者はそれぞれ自宅から小道を通ってどことなく運転しているわけですが、次第に大通りに出て合流する。合流してもそれぞれ自分の車を運転していて、でも、向かう方向は同じである。そんな感じです。

あるいは高段者の合気道技をかけられているときの感覚です。初心者に慣れない技をかけられると、僕の身体は捻られ、痛いだけのものです。

しかし、高段者の技を受けると、相手の力が自分の身体に流れ込み、相手の力によって相手の力と自分の力とが一体化するような感覚になります。心地よいものです。

また、投げられた時などは、他人に腕力をもって強引に投げられたというような感覚ではなく、身体の内側から、内臓から浮くような感覚を覚えます。こればかりは受けてみないと実感できない感覚ですが、ジェットコースターの浮き沈みの時の感覚にも似ています。

ジェットコースターに乗ると、止まるまで降りられません。ジェットコースターは速いスピードで登ったり降りたり、回転したりします。そのときの僕の身体はもう、その動きに身をゆだねるしかありません。身体がなにか別の力によって動かされる感覚です。しかし、向かう方向はほとんど予測がつく。

皆乗り物に身をまかせているが、同じ方向に進んでいる。だからこそ、合気道技をかけられて身体を飛ばされても、ACOPで大人数が鑑賞して対話しても、合流し、向かう方向でうまく着地できる。

例えが下手くそでしたが、個々のことばは、身体を通じて、流れのある道で合流することにより、全体の大きな力に流されながらも、居心地の良さを我々に与えるいうことなのだと思います。

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